組手を休んだ息子と話をしていた師範が保護者席へ
「医者には行ったの?」
外科でレントゲンを撮り骨に異常はなく打撲と言われた事と
痛み止めの薬と冷湿布を貰って貼っている事を話す。
「ダメだよ、そんなんじゃぁ。
アレ(息子の足)は神経が怒っているんだから
暖めてやらなきゃ何年経っても痛みは治らないよ」
温湿布をするよう話される師範に
風呂に入ると気持ちがいいと言った息子の言葉を伝えると
「そうなんだよ。
ある程度迄は体が知ってるから体の言う事を聞かなくちゃ」
体を治すには血液の働きも大切で
暖める事によりそれを活発にする。
腫れ上がるのを止める為に冷やすのであって
日にちが経ってから冷やしてはいけないと教えて頂いた。
もう2ヶ月になる痛みに貼っていた冷湿布。
病院に行ってからは朝晩欠かさず貼っていた。
知識がなく長引かせてしまった。
ごめんね、息子。
そして・・・
足が痛い→組手が出来ない→サポーターを持って来ない
こういう息子に
「足を使わない組手も沢山できるんだから
ちゃんと持って来い。受け捌きは大事なんだよ。
少年部を受けて来い!」
といって道場へ送り出し、その場に残った師範は
「稽古で”折れない自分”を作るんだよ。
”(心が)負けない自分”が大事なんだよ」
と話して下さった。
稽古を見ているだけの私達には言葉で教えて頂けるが
当の本人達にとっては
稽古を通していつか自分で気付いていくもの
気が付いたときに身に付いているものなんだろうなぁ。
頑張れ!
「怒られる事と恥をかく事は大切なんだよ」
この二つの経験がなければ心に変なプライドが出来る。
今はがんがん怒られていい。
恥もいっぱいかいていい。
それを自分で認められる人になる為には
今、そういう経験が大切なんだ。
佐世保は市内4箇所で稽古を行っているが
ある道場指導者が金曜道場(師範指導日)で
師範からがんがん怒られてるのを見て
「あんな偉い人が怒られてるなんて・・」
と、とても驚いたと言う保護者の話がある。
”偉い人”
師範の耳に入ると間違いなく怒られると思うけれど
曜日担当の責任指導者が偉く見えない保護者はいない。
大人になると「怒られる」という経験はぐっと減る。
今時、大人が自分より体格のいい人を怒るなんて・・・
そう考えると貴重な事なのかもしれない・・と勝手に思う。
怒られた事を冷静に受け止める事は案外難しい。
ビビッて固まったり
反発したり
責任転嫁したくなったり
「物事を正しく聞き正しく受け入れる」
怒られる事と恥をかく事に慣れているって事は
強みだと思う。
分かっている事はどんどん自分からしていく。
普段は自分で仕事をする大工が棟梁がいるからといって
「釘、打っていいですか?」
と一々聞きながら仕事はしないだろ?
普段は指導しているのに師範が居る時はただの弟子となってはいけない。
いつも自分のスタンス通りにしていなければ。
弟子の一人を叱った後に師範が話し掛けてこられた。
師範の意図することを分かりやすく話してくださったが
当の本人は一喝された後すぐに稽古に戻っている。
弟子ではなく、”保護者”だからこういう話をしてくれたのだと思う。
叱られた意味は自分で考えなければ分からない事があるから・・
「社会に出ても同じ事なんだよ」
そう言ってまた指導に戻られた。